一定水準以上の住環境を保証することは国家の義務であり、 住宅用不動産の価格はより積極的に管理されるべき
近年日本では、長引く不況にもかかわらず住宅価格が(一般的な生活者の収入水準に対して)高止まりしており、多くの家庭において、住宅ローンを返済するために可処分所得のかなりの部分が支出されている。こうした現状を考えると、新自由主義的な放任主義だけに住宅供給を委ねることはいかにも不十分であり、安価で良好な住環境の確保のために、社会住宅の供給や住宅価格の管理など一定の政策的介入がなされるべきことは明らかである。 そもそも住宅は、下に記すとおりその重要性と価格の高さゆえに、他の財と区別されるべきである。 1)保険性・安全性・快適性・利便性を含む「住環境」は、生活者にとってのQOLの基礎をなすものであり、基本的人権を構成する要素と見做すことができる。したがって、国民に対して一定水準の住環境を保証することは国家の義務であるといえる。 2)住宅購入の対価は、他の財やサービスに対する対価と比べて格段に高い。ゆえに、住宅価格の高騰は家計を過度に圧迫し、その他の財やサービスに対する消費余力を減退させる。 90年代の資産バブルの記憶からだろうか、住宅価格の上昇は「経済成長」というポジティブなイメージと結びつけて語られがちだ。しかし実際には、住宅価格の高騰は、繁栄ではなく、政策の失敗を意味する。それは富の分配を歪め(注1)、人々の生活を圧迫するうえ、消費意欲の減退を通して、中長期的には経済成長の足かせになる。 繰り返すが、我々は住宅用不動産が特別な財であることを認識せねばならない。そして、国家は国民への義務を果たすために、住宅価格を積極的に管理するべき(注2)なのである。 注釈 (注1) 経験則上、土地はその価格の上昇局面において、それ本来の価値(土地から将来にわたって得られる利潤の割引合計)から逸脱して高騰する。その結果得られる過剰利益は、あらたな財やサービスを生じることなく、少数の「自分が住む以外に処分可能な土地を持っているもの」に与えられる。結果として、富の分配は最適化されず、硬直化する。
(注2)住宅の価格と質を制御する方法としては、主に2つの方向性が考えられる。第一に、適正価格での公共住宅の供給によって住宅市場を主導することであり、第二に税制や開発規制をはじめとする法律的対応によって住宅売買の活動を制御することである。我が国においては、残念ながらこれら2点の何れに関しても、十分効果的に行われているとは言えない。特に住宅政策に関しては、公庫融資などを基軸とした持ち家政策を重視してきたこともあり、公共住宅の供給は質と量の両面について十分とは言えない。しかも都市再生機構(UR)は「解体的見直し」が議論されている。URの功罪に関する議論は別にして、何らかの主体が中流家庭向け公共住宅の供給を担い、むしろ強化していくべきである。